東京地方裁判所 平成11年(ワ)14543号 判決
原告 株式会社X
右代表者代表取締役 A
右訴訟代理人弁護士 宮永堯史
被告 ソニー生命保険株式会社
右代表者代表取締役 岩城賢
右訴訟代理人弁護士 谷川徹三
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
被告は、原告に対し、金三億円及びこれに対する平成八年七月一三日から支払済みまで年六パーセントの割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、原告が、被告との間で、原告の元代表取締役B(以下「亡B」という。)を被保険者として締結していた生命保険契約に基づき、亡Bが死亡したとして、被告に対してその死亡保険金の支払いを求めた事案である。
被告は、亡Bの死亡は自殺によるものであるから免責事由に該当すると主張したのに対し、原告は、亡Bは精神障害の状態で自殺したものであるから、免責事由には該当しないと主張した。
一 前提事実(証拠援用部分を除き、争いがない。)
1 原告は、業務用ビデオ機器の販売等を営む会社である。(弁論の全趣旨)。
2 生命保険契約の締結
原告は、被告との間で、亡Bを被保険者とする以下のような生命保険契約を締結した(以下「本件保険契約」という。)。
(一) 契約日 平成八年四月一日
(二) 保険種類及び種目 平準定期保険七五歳満了リビングニーズ特約付
(三) 保険の内容
(1) 死亡(高度障害)保険金額 金三億円
(2) 保険期間 三〇年間
(3) 保険料 金三一万三五〇〇円
(4) 振込期間 三〇年
(四) 災害死亡給付特約の内容
(1) 災害死亡(高度障害)保険金額 金一億円
(2) 特約期間 三〇年
(3) 特約保険料 四〇〇〇円
(4) 特約振込期間 三〇年
(五) 合計保険料 金三一万七五〇〇円
(六) 死亡保険金受取人 原告(一〇〇パーセント)
(七) 保険金の支払方法 回数 年一二回
経路 口座振替(特約)扱い
(八) 保険期間の終期 平成三八年四月一日の前日
3 亡Bは、平成八年七月一二日午前八時三〇分ころ、京都市西京区上桂前田町二一番地の四所在の原告社屋内において、縊死により自殺した(以下「本件自殺」という。)。
4 本件保険契約の約款には、左記のような条項がある。(乙一)
記
第一条(責任開始期)
第一項
会社は、次の時から保険契約上の責任を負います。
(1) 保険契約の申込みを承諾した後に、第一回保険料を受け取った場合・・・・・第一回保険料を受け取った時
(2) 第一回保険料相当額を受け取った後に、保険契約の申込みを承諾した場合・・・・・第一回保険料相当額を受け取った時、ただし、被保険者に関する告知の前に受け取った場合には、その告知の時
第二項
前項により、会社の責任が開始される日を、契約日とします。
第二条(保険金の支払)
第二項
この保険契約において、支払事由に該当しても保険金を支払わない場合(以下「免責事由」といいます。)は、次のとおりです。(死亡保険金)次のいずれかにより、被保険者が死亡したとき
(1) 責任開始期の属する日からその日を含めて一年以内の自殺
(2) 保険契約者または死亡保険金受取人の故意による致死
二 争点
1 原告の主張
(一) 免責事由にいう自殺とは、自由な意思決定に基づき意識的に行われたものに限られ、精神病その他精神障害により、自由な意思決定ができない状態でその者の動作により死亡の結果を生ぜしめた場合は、免責事由にいう自殺には該当しない。
(二) 本件自殺は、亡Bが精神障害の状態で自ら命を絶った場合であるから、免責事由にいう自殺には該当しない。それは以下の事情から明らかである。
(1) 亡Bは、本件自殺の時点まで原告の代表取締役を務めていたが、平成七年夏ころ、亡Bが自ら開発し原告において販売していたコピーガード機(ビデオテープのダビングをできなくする機械)について、アメリカの会社から特許侵害を理由とする販売差止と損害賠償請求を受け、在庫品の販売停止と総額九六〇〇万円の損害賠償の分割払いを余儀なくされたこと、平成八年五月ころ、仕入代金の一括払いが困難になり、主要取引先であった会社から取引停止を告げられ、納入商品をストップされてしまったことから、精神的に追いつめられ、同年六月一〇日、妻子を道連れに無理心中事件を起こした。
その後、亡Bは、妻子に対して重傷を負わせたことに一層自責の念に駆られ、精神的な苦悩が絶頂に達し、それによって精神障害を起こし、自由な意思決定ができない状態となり、本件自殺を実行したものである。
(2) 亡Bは、無理心中事件を起こした後、不眠が続き、すぐ泣き崩れる、他人に対して異常に丁寧な行為をするなど、断続的に精神不安定の状態が続き、右事件以前には明朗快活な人柄であった亡Bとは人が変わったように、無口で鬱ぎ込んでいる状態となった。
そのため、亡Bの妻は、平成八年七月八日、亡Bを近くの内田医院に受診させた。その際、亡Bは、内田医師に不安と不眠を訴えており、同医師は、亡Bに精神安定剤と睡眠薬を投与するとともに、精神科の専門医を受診するよう勧め、知人の精神科医師宛の紹介状を亡Bの妻に手渡した。
しかし亡Bは、内田医師受診後も精神不安定な状態が続き、同月九日に取引先が取引再開に応じてくれることとなった際も格別喜ぶ様子もなく沈み込み、精神科の専門医を受診する前に本件自殺を実行してしまった。
(3) 亡Bは、無理心中事件後、いくつもの異常な行動が目立つようになった。
たとえば、一日に何十回となく手を洗いに行く、他人の目の前でブリーフ一枚でうろうろする、人との会話中に、何も書かれていない手帳を開いてはじっと見つめ、そして閉じる、あるいは汗拭きタオルを広げては畳むという動作を繰り返すなどであり、顔の表情も芯が抜けたように無表情であった。
これらの事情は、亡Bが本件自殺の直前、精神的に異常な状態となっていたことを示すものである。
(三) よって、原告は、被告に対し、本件保険契約に基づき、死亡保険金三億円及びこれに対する本件自殺の日(亡B死亡の日)の翌日である平成八年七月一三日から支払済みまで商事法定利率年六パーセントの割合による遅延損害金の支払を求める。
2 被告の主張(免責事由の存在)
(一) 本件自殺は、本件保険契約の責任開始期の属する日(平成八年四月一日)からその日を含めて一年以内に起きたものであるから、免責事由に該当する。
(二) 被保険者の自殺が精神障害の事由に基づくことの証明責任は原告にあるところ、亡Bが精神病その他精神障害により自殺をしたと認められる証拠はなく、本件自殺は、精神病その他精神障害により、自由な意思決定ができない状態で亡Bの動作により死亡の結果を生ぜしめた場合には該当しない。
第三当裁判所の判断
一 免責事由の存否について
1 本件保険契約約款及び商法六八〇条にいう自殺とは、被保険者が自由な意思決定によって故意に自己の生命を断ち、死亡の結果を生じさせる行為を指すものであって、精神病その他の精神障害中の動作に起因して死亡の結果が発生した場合はこれに当たらないと解すべきである。
2 しかし、本件各証拠及び弁論の全趣旨を総合しても、本件自殺が、精神病その他の精神障害のために、亡Bが自由な意思決定ができない状態となり、その状態の下における亡Bの動作に起因して死亡の結果が発生したものとは認めがたい。その理由は以下のとおりである。
(一) 本件自殺には、一般人にも十分理解できる明確な自殺の動機が認められる。
(1) 亡Bは、原告の創業者であり、本件自殺の時点まで原告の代表取締役を務めていた。
原告は、平成七年夏ころ、亡Bが自ら開発し原告において販売していたコピーガード機(ビデオテープのダビングをできなくする機械)について、アメリカのマクロビジョンコーポレーションという会社から特許侵害を理由とする販売差止と損害賠償請求を受け、在庫品の販売停止と総額九六〇〇万円の損害賠償の分割払いを余儀なくされた。
また、原告は、平成八年五月ころ、仕入代金の一括払いが困難になり、一〇年来の主要取引先であったソニーコンスーマーマーケティング株式会社から取引停止を告げられ、同社に納入商品をストップされてしまった。既に多数の顧客からソニー製品の注文を受け前受金を受領していた原告にとって、同社の商品が納入されないと顧客に対する信用を失墜し、営業不能になることから、亡Bは同社と必死の交渉を続けたが、受け入れられず、他方仕入代金支払いの見通しも立たなかった。
このような事態に追いつめられた亡Bは、同年六月一〇日、妻子を道連れに無理心中事件を起こした。亡Bは、自宅で睡眠中の妻と長男の頭部を木槌様の物で乱打し、妻に頭部挫滅傷、長男に頭蓋骨骨折の重傷を負わせたが、抵抗した長男に取り押さえられた。亡Bは同日殺人未遂事件で逮捕されその後勾留されたが、同月二八日、不起訴処分で釈放された。
その後、亡Bは、妻子に対して重傷を負わせたことについて一層自責の念に駆られていた。
本件自殺は、右釈放後約二週間後の出来事である。(甲三、七、一〇、一二、乙二、被告代表者本人)
(2) 亡Bは、本件自殺の際に、二通の遺書を残している。いずれも原告の債権者及び取引先に宛てたものである。
そのうち一通には「債権者の皆さんへ」「もう一円もありませんので助けてやって下さい」「妻・子供だけは助けて下さい」「ご援助を!!」「どうか、どうか」との記載がなされており、他の一通には「もう一円もありませんので助けてやって下さい」「妻・子供だけは助けて下さい」「店長にも何も責任もありません」「ソニー、ビクター、マクロビジョン様他」との記載がなされている。
右記載は、字は乱れてはいるが判読は十分可能であり、記載内容も、妻子や従業員のことを慮り、債権者や取引先に対し、自ら責任を取って自殺するので、妻子や従業員に対する責任追求はせずに援助して欲しいという心情がにじみ出ているものであって、一般人にとって十分理解が可能である。(乙二、原告代表者本人)
(3) (1) 及び(2) に認定した事実に照らすと、亡Bは、原告の将来を悲観するとともに、妻子に対する自責の念に駆られ、自ら命を絶つことによって自己の責任を明らかにし、妻子に対する責任の免除を請うという明確かつ理解可能な動機により自殺を決意したものであって、本件自殺を決意するにあたって、精神病その他の精神障害の介在を疑うに足りる事情は見当たらない。
(二) 本件自殺の態様は、覚悟の自殺と見るのが合理的であり、精神病その他の精神障害中の動作に起因して死亡の結果が発生したとは到底いえない。
(1) 亡Bは、本件自殺の当日、早朝妻に気づかれないように自宅寝室を出て原告事務所に向かい、事務所内の内装用金具に電気コードを結んで首を吊って自殺したものである。(甲七、乙二)
(2) 右の自殺の態様と、前記(一)(2) に認定した亡Bの遺書の内容とを総合すれば、本件自殺は、亡Bが明確に自分の生命を断つことを認識しこれを意図して実行した覚悟の自殺と見るのが合理的である。精神錯乱状態の下で高所から飛び降りたというような態様とは明らかに異なるといわなければならない。
本件自殺は、精神病その他の精神障害中の動作に起因して死亡の結果が発生したのではなく、亡Bの明確な自殺企図の意思決定の下に、実行されたものと推認するのが合理的である。
(三) 証人内田良行に対する書面尋問の結果によれば、平成八年七月八日、亡Bが妻とともに内科を診療科目とする内田医師の診察を受けた際、眠れないとの訴えから不眠症と診断し、睡眠剤と安定剤を処方したこと、愉快で明るい人物であった亡Bが、会話をほとんどせず、おとなしい状態であったことや仕事上のトラブルから心中を企て未遂に終わったという妻の話から、何かおかしいと感じ、内科の専門範囲外と判断して、明日にも精神科を受診するよう強く勧め、知人が院長を務める精神科の病院を紹介したこと、診察の際、亡Bの理解力や判断力には異常を感じることはなく、異常な行動は見られなかったこと、直ぐに入院を要するほどの緊急性は感じなかったこと、精神疾患に罹患していたかどうかは専門医でないため判断できないことが認められる。
また、無理心中事件後の亡Bに、一日に何十回となく手を洗いに行く、他人の目の前でブリーフ一枚でうろうろする、人との会話中に、何も書かれていない手帳を開いてはじっと見つめ、そして閉じる、あるいは汗拭きタオルを広げては畳むという動作を繰り返すなどの行動が見られたことも認められる(甲一二ないし二一、原告代表者本人)。
以上の事実によれば、快活で明るい人柄であった亡Bが、無理心中事件後は無口でおとなしくなり、医師の目から見て精神科の受診を要する状態になっていたことは認められるが、右事情のみから亡Bが当時精神病その他精神障害に罹患していた事実まで推認することは困難であるといわざるを得ない。
(四) そして、前記(一)ないし(三)に認定した事実関係を総合して考えるならば、亡Bの本件自殺が精神病その他の精神障害中の動作によるものと見ることは困難であって、むしろ前記(一)に認定のような事情が重なり、それが動機となって自ら命を絶ったと推認するのが合理的である。
3 したがって、本件自殺は、被保険者である亡Bがその自由な意思決定によって故意に自己の生命を断ち死亡の結果を発生させたものであるから、免責事由にいう自殺に該当すると認めるのが相当である。
二 以上のとおり、原告の本訴請求は理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法六一条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 潮見直之)